石川村と荏田村の争い

馬飲み場

築地の土堤があったとされる、国道246付近

早渕川の上流の石川村と下流の荏田村。この隣り合った村は早渕川の水の配分をめぐり大変仲が悪かったそうです。
干ばつで下流に流す水がない時でも、下流の荏田村は水を要求するなど争いごとが絶えなかった。荏田村の住民が堤防を築いて上流の石川村を水没させたという伝説もあります。
荏田は、地下鉄の高架と国道246と交差したところの石川境に残っていた「築地の土堤」と称する大きな堤を築き、石川を水で水没させようとした。このため保木、平川、船頭、牛込といった地域は水没したという。
保木はその時、木に帆を揚げた船を出したから帆木から保木に。船頭は舟を造った人がいて、舟を漕いだ。牛込ではたくさんの牛が荷を運び、平川は集落が平らな川になっていた事が由来とも言われています。
またこの地域は石川の牧と呼ばれ、馬産地として有名であり、「築地の土堤」は馬の水飲み場として水を溜めていたのではないかとも言われている。
どちらにしても文献が残っているのではなく、伝説として語り継がれています。

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