「しゃかんどう」から、国道246を超えると荏田宿に続く。荏田宿は、神奈川県の北を通る矢倉沢往還、大山参詣の中心道であったことから、大山街道とも呼ばれ、その大山街道沿いの宿場として栄えました。
荏田は長津田とともに、江戸初期から宿駅に指定されていましたが、残念なことに明治27年の大火によって当時の面影は失われてしまいました。
「お江戸日本橋を朝発ちて、夕方たどり着くのが荏田の宿」といわれた荏田は、日本橋から行程七里(約27キロ)のところにある宿場でした。この七里という里程は、「風土記稿」によると日本橋を出発し、多摩川から渡り、有馬から一里のところが荏田宿だったという。
庚申塔
宿は西に向い下宿、中宿、上宿に分かれており、往還筋に35軒の宿と店が文久3年頃(1863年)あったと言われている。
小松屋、現金屋、油屋、餅屋、豆腐屋、問屋、大工、足袋屋、薬屋、横丁、結屋、提灯屋、鍋屋、鞍屋などの屋号で呼ばれる商店や、職人と幾軒からの屋並みが四季折々のにぎわいを見せていたのです。
宿の入口には庚申塔がまつられており、宿の道標として親しまれた。現在でも昔の面影を留めている。