あざみ野の集落

石川村には8つの集落があり、保木(ほうぎ)、荏子田(えごだ)、平川(ひらかわ)、船頭(せんどう)、稗田原(ひえだはら)、牛込(うしごめ)、下谷(しもやと)、中村。その中であざみ野は牛込、中村、船頭の地から成り立っていました。

あざみ野3地区地図

明治21年は石川村と荏田村は合併し、黒須田村と合わせて「神奈川県都筑郡山内村」となりました。
驚神社の近くの県道沿いに「石田屋」という何でも扱う商店が開業し、以後大正から昭和にかけて続々と店が並び戦後一大商店街に発展しました。村役場、その隣に山内小学校が誕生し中村地区は山内村の中心となりました。

中村地区を含めて、牛込、船頭の一帯約八十万平方メートルが「あざみ野」に変わったのは、昭和51年7月。元石川大場土地区画整理事業の竣工によって、このあざみ野1丁目から4丁目に分かれ当初計画人口1万7000人でした。山内総合庁舎周辺が中村と呼ばれていた頃は、人家わずか数戸の丘陵地でした。
あざみ野駅からすすき野方面に100メートルも行かないうちに、亀に似た山、亀子山(かめのこやま)に突き当たり、周辺には水田が広がり、二毛作田の良質田で、そのワラは上等で質の良いムシロが出来たという。
その隣には字矢指と呼ばれ、その昔矢を作っていたという言い伝えがあります。さらにその手前現在の線路上に当たるところに堂明寺台(どうみょうじだい)という地名が残っていました。寺の跡だというが、そこからは数多くの原始・古代の出土品、石斧、曲玉、古銭などが発掘されています。
また尾根を挟んだあざみ野側に自生している山桜の根元には、夥しい土器が埋設されており、当時の文化が偲ばれます。

春の中村地区では、水田にピンクのレンゲが密生し、畦道にはタンポポの群生。山には山ツツジが咲いた(あざみ野の開発から保護するために自宅の庭に植えた地主さんもあざみ野2丁目におられます)。夏は野あざみ、山百合が咲き広がり、夜はホタルとカエルの大合唱。谷戸の水は全て湧水でウナギ、金ブナ、ゲバチ、蝮などが見られた。秋は、山栗のイガ、冬は、コガラ、シジュウカラが飛来してくるのもこの頃である。

しじゅうから

また小動物では、野うさぎ、タヌキ、キツネ、イタチが生息していました。特にタヌキは現在も生息していると言われ、当クラブの前を通るのを見かけた人もいます。またあざみ野の開発以前に、当地で農業をされていた方が蝮に咬まれたり、当クラブの従業員がヤマカカシ(ユウダ科)に咬まれたりと当時は大騒ぎとなりました。野ネズミも多く見かけたのもこの頃でした。
早渕川では、よくウナギが捕れたそうで、当時の子供達の良い思い出となっています。

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