中世の石川

中世の石川は鎌倉道の影響が大きく、人々の往来が多く文化も必然と流入してきました。1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開くと、鎌倉と地方を結ぶ重要な道路の整備に力を入れ、開通したのが鎌倉道です。
石川は鎌倉から武州府中辺りに抜ける主要な通り路となりました。「いざ鎌倉」という言葉が今日に残されているように、各地の御家人が鎌倉殿の元に馳せ参じた重要路として、きわめて重要な役割を果たしました。

この鎌倉道は3ルートあったといわれ、「上の道」「中の道」「下の道」であり、石川を通過していたのは「中の道」といわれるものです。その道順は鎌倉〜柏尾(戸塚)〜鶴ヶ峰〜白根(以上旭区)〜川和〜荏田〜世田谷〜府中。現在の石川、荏田のどこを通っていたかは断定することができないようです。
またこの道は整備されたものではなく、峰道に少々手を加える程度の道だったそうで、道幅も6尺(1.8メートル)位で馬2頭がやっと通れるといったところでした。

鎌倉幕府の創始期から中期までの歴史をまとめた吾妻鏡*に、石川・荏田一帯に所領をもった御家人であろうとされる石河氏、江田氏の名前がみられます。1190年に源頼朝の上洛時に先陣随兵中に石河六郎、後陣頭随兵中に江田小次郎の記述や、1195年頼朝には石清水八幡宮より東大寺参拝をしており、隋兵に石河大炊助との記述があります。
石河氏や江田氏の名前の登場や、荏田の真福寺に鎌倉時代に作られた釈迦如来立像が安置されている事などから、鎌倉道がもたらした影響が大きかった事が言えるでしょう。

日本史年表

1185年 壇ノ浦の戦で平家が滅亡
1192年 源頼朝が征夷大将軍に就任、鎌倉幕府が成立
1221年 承久の乱
1333年 鎌倉幕府が滅亡
1338年 足利尊氏が征夷大将軍に就任、室町幕府が成立
1392年 南北朝の合一
1467年 応仁の乱
1549年 ザビエル鹿児島にキリスト教伝える
1573年 室町幕府が滅亡
1582年 本能寺の変
1590年 豊臣秀吉が全国統一

世界史年表

1096年 十字軍の遠征が始まる(1270年迄)
1206年 チンギス・ハンがモンゴルを統一
1271年 マルコポーロ東方旅行
1338年 イギリス・フランスの百年戦争
1368年 明を建国
1392年 高麗が滅び、李子朝鮮が成立
1453年 オスマン・トルコが東ローマ帝国を滅ぼす
1492年 コロンブス・アメリカ大陸発見
1533年 スペインがインカ帝国が滅ぼす
1558年 イギリスでエリザベス1世が即位
1596年 オランダが東洋に植民を始める

*吾妻鏡とは1180年から1266年までの87年間を描く歴史書。
1180年源頼政挙兵から1266年6代将軍宗尊(むねたか)親王帰京までを記す。

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