神奈川県域は古代において、国、郡、郷(里)制の中で武蔵国の一部と相模の国とに分かれていました。
現在の神奈川県域には武蔵国の久良(くら)郡、橘樹(たちばな)郡、そして石川を含む都筑郡(つづき)の3郡と相模国8郡から成り立っていました。
都筑郡は、隣接の橘樹郡、久良郡などともに武蔵国として東山道(古代の地方行政区画の五畿七道の一つ。畿内から東北へ山間の諸国に連絡した道)に属していましたが、武蔵国が古代東海道として属するようになってからは様相が一変します。
東山道の地理的不便さと違って、石川は東海道の幹線道路の沿線として、東海道の影響を大きく受けるようになりました。大井(東京)から始まり、小高(川崎市)〜横浜市北部(石川)〜店屋(町田)〜浜田(海老名市)〜小総(伊勢原市)〜坂本〜足柄へと続くものです。
この東海道の沿線にある石川は中央(京)と東国を結ぶ通過点の一つとなり、これがのちの大山街道の宿場町として成長していく荏田につらなっていくのです。
早渕川の上流部に形成された古墳群で、右岸の丘陵上には前期から中期を主体とする虚空蔵山古墳・観福寺裏古墳・観福寺北古墳などが営まれています。
これらの背後に位置する赤田谷戸*をめぐる丘陵には赤田古墳群が造営されており、古墳群の初代の盟主墓は、4世紀後半に造られた虚空蔵山古墳とみられます。
6世紀前半代に矢崎山古墳、半ば頃には観福寺北古墳が造られ、それに後出するのが、いずれも泥岩切石を使用した横穴式石室を持つ円墳である赤田2・1・3号墳です。
現状では、この間に半世紀ほどの空白期間が生じています。また赤田谷には大規模な横穴墓群もあり、都筑郡家の遺跡である長者原遺跡は、この古墳群の地域内に位置しています。赤田谷をめぐる丘陵に営まれた古墳群と横穴墓群の被葬者は、都筑評や都筑郡の役人と密接に関係していると考えられます。
所在地は青葉区荏田。多摩丘陵の南端部にあたり、早渕川の右岸に東西方向にのびる谷戸(丘陵地の谷あいの低地のことで、森、沼地、水田と数多くの動植物から構成される豊かな生態系を持つ)に展開する赤田谷戸に位置します。
1986年〜89年に4基の円墳と42基の横穴墓群が発掘調査されました。径20〜25mをはかる1〜4号の4基の円墳のうち、3基は泥岩切石の横穴式石室をもち、出土遺物から4号・2号・1号・3号の順に築造され、1号墳は7世紀初頭、2号墳は6世紀後半、3号墳は7世紀中頃、4号墳は5世紀末頃のものとみられます。
また、1・2号墳が位置する台地の南側斜面には42基の横穴墓が造られています。6世紀から7世紀にかけて造営されたもので、副葬品として鉄刀、鉄鏃、銅釧、土師器、須恵器、勾玉等の玉類などが発見されています。
あたかも古墳の被葬者を自分達の祖先としてあおぐ形で、同じ台地の斜面に横穴墓が造られており、両者の被葬者の系譜を考える資料となります。
7世紀後半には、この地域には武蔵国都筑郡の役所が置かれており、被葬者の集団と都筑郡の役人を生み出す集団とのつながりが想定されます。
あざみ野南周辺は以前赤田と呼ばれ、起伏に富んだ丘陵地帯で縄文時代から中世までの集落や古墳・横穴墓など14カ所の遺跡が見つかりました。
現在の江田駅よりほど近い場所に赤田西公園があり、赤田遺跡群より復元した赤田2号古墳が展示されています。
自然地形を利用して築いた径約20mの円墳で、北側と南西側に周航がありました。
石室は、泥岩の切石を用いた両袖型の横穴式石室で、玄室は床面が3つに区切られて川原石が敷かれていました。
遺体はこのいちばん奥に安置されていたようで、この部分は一段高く川原石の下には泥岩の切石がきれいに敷かれており、玄室の中からは耳環、勾玉、管玉、切子玉、棗玉等の首飾り、鈴釧(腕輪)、太刀・鉄鏃等の武器、刀子(ナイフ)、須恵器などが出土しました。
この古墳は6世紀後半に築かれたもので、この地域の横穴式石室のなかでもっとも古いもののひとつです。
239年 | 卑弥呼が魏に使者を送り「親魏倭王」の称号を賜る |
285年 | 漢字が日本に伝わる |
350年 | 大和朝廷が国内統一 |
538年 | 仏教が日本に伝わる |
604年 | 聖徳太子が十七条の憲法制定 |
607年 | 小野妹子を遣隋使として派遣 |
645年 | 大化の改新 |
701年 | 大宝律令 |
710年 | 平城京に遷都 |
794年 | 平安京に遷都 |
935年 | 承平の乱(平将門が関東で反乱) |
184年 | 黄巾の乱により中国は三国時代に入る |
313年 | ミラノの勅令(ローマ皇帝がキリスト教を公認) |
375年 | ゲルマン民族の大移動が始まる |
476年 | 西ローマ帝国滅亡 |
610年 | マホメットがイスラム教を開く |
618年 | 隋が滅亡、唐が中国を統一 |
676年 | 新羅が朝鮮半島統一 |
750年 | アッバース朝が中東を支配 |
870年 | フランク王国が3つに分裂(仏・独・伊) |
907年 | 唐が滅亡 |
962年 | 神聖ロ-マ帝国成立 |
*赤田谷戸とは東急田園都市線あざみ野駅から江田駅に向かって東西に細長く広がり、雑木林で囲まれた自然豊かな田園地帯。現在のあざみ野南を指す。また当テニスクラブのNO.14、NO.15コート南側70%は赤田谷戸である。